その4: 通信は、CompuServe かGEnie か

まだ300bps のモデムがあったころ

 時は1987年。前回にも登場したComputer Application という一般的なパソコンの使い方を学ぶ授業で、13歳の僕はパソコン通信の存在を知った。どうやらモデムというものが必要らしい。今でこそモデムなんてパソコン利用者の常識ともいえる存在だけど、当時は「MODEM ってなに?」「MOdulator-DEModulatorの略だよ」と教えられていた。

 モデムはパソコンの電気信号をあのガーガー・ピーピーという音声信号に変えて他のパソコンへと送り、逆にまたあのガーガー・ピーピーという音をパソコンのデータとして受け取り、読み込んでいるわけです。んで、1秒間に何ビットやりとりできるかによってスピード(Bits Per Second だから単位はbps)が違ってくる。

 ちなみにこの授業ではパソコン通信を擬似的に実現するソフトが出てきて、僕達はその疑似ソフトの掲示板に書き込んだり、メールを送ったりしたのでした。さすがにアメリカの学校とはいえ、授業で使う30何台ものパソコンにモデムを導入するわけにはいかなかったようだ。

 そして1988年、友達の1人がIBM 用のモデムを購入した。通信速度は300bps だ。そう、冗談抜きで300bps、64k ISDN の200分の1のスピード。電光掲示板のように文字が1つずつ、ぱらぱらぱらと横に流れていくような感じだった。それでも僕は友達がCompuServe でチャットをやっているのを見て感激してしまい、親に「モデムを買ってくれぇ!」とねだり始めたのであった。

 そうしてようやく買ってもらったのが、Apple Personal Modem という1200bps のモデムだった。このころモデムは1200bps が主流になりつつあり、2400bps の時代も少しずつ見え始めていた。Hayes だけが9600bps のモデムを発売していたが、これは論外。このころのパソコン通信は全てが文字ベースだから、大型ファイルのダウンロードをしない限り、1200bps でも十分ではあった。掲示板やメールでは、2400bps にもなると読むのが追いつかないのだ。

このころはCompuServe が主流

 で、上に登場した友達はCompuServe に加入していた。日本のNifty-serve の親玉みたいな存在で、当時のアメリカのパソコン通信サービスとしては圧倒的なシェアを誇っていた。(注1) AOL やProdigy はまだ存在しない。うろ覚えだが、ここの利用料金が1時間$30ぐらいだったと思う。

 しかし1時間で$30というと、中学生の僕にはやや高いのである。と、このころ新しく、GEnie というサービスが登場した。名前の通り、General Electric が運営したもので、利用料金はなんと1時間$5。CompuServe の6分の1だ。(注2) ならばこれしかあるまい、ということで僕(支払いは父親だが)はGEnie に加入することになった。

 GEnie は値段が安い分、それなりのデメリットはあった。なによりも利用者が少ないので、1つの話題ごとに集まってくる人間の数もそれに比例して少ないのだ。使い始めた当時はそれほど気にもしなかったが、Apple II シリーズが落ち目になり始めると、この違いは実に厳しい現実として僕の前に立ちはだかった。

 とはいえ、やはりパソコン通信は面白い。上にも書いた通り、当時のパソコン通信は画面に字が飛び交うばかりのものだったが、チャットなどは今も昔も変わり様がない。はまるとついつい何時間もパソコンに張り付いてしまうのだ。チャットにログインするとしきりに「男、女?」と聞いてくる輩もいた。チャットに出会いを求める人が多いのもやはり、昔から変わらないのだろう……。(注3)

 僕がこのGEnie を使っていて一番嬉しかったのは、ここのチャットで知り合った人から外付けのサウンドボードとでもいうMocking Board を購入できたことだ。「現金で$15送ってくれれば、ちゃんと箱に入れて郵送するよ」ということだったので、おそるおそる$15を封筒に入れて送ると、数日後に実物が届いた。(注4) 良心的な相手でよかったと思う。

草の根BBSは淘汰の嵐

 さて、当時は自宅のパソコンをサーバーとして置くいわゆる「草の根BBS」が実に数多くあった。僕が住んでいたエリアコードの範囲だけで200個近くはあっただろうか。GEnie のような商用サービスはユーザーも多く、チャットやネット対戦型ゲームもあって楽しいが、いかんせん高いのだ。草の根BBSは利用料金がゼロということもあって、僕は草の根BBSとGEnie を6対4ぐらいの割合で使い分けていた。

 ローカルな草の根BBSの面白いところは、BBSによってテーマがあることだった。僕がアクセスしていたものの中で特に面白かったのは、「Bushido BBS」というところで、ここでは武芸マニアがあれやこれやとサムライや日本文化について延々と議論していた。昭和天皇が崩御したときには、日本の天皇ってどんな存在? という話題でも盛り上がっていた。

 もう一つ面白かったのは「Mount Olympus」というBBSで、ここではユーザーが全員ギリシャ神話に登場する神々や人物を名乗っていた。ゼウスというハンドルの人がばりばりと書き込みをしているところで、僕はてっきりここのシスオペだと思っていた。が、実はオーナーはソクラテスというハンドルの人だった。ただ、ここはギリシャ神話の議論と言うよりも一般的なニュースやパソコンの話題が多かったように思う。

 ローカルBBSの中には海賊版のソフトのコピーを置いているところも多かったが、ちょうど僕がパソコン通信を始めた1988年から1991年頃にかけて、こうしたサイトは相次いで消えていった。警察の取り締まりがとたんに厳しくなったということだろう。(注5) わずか3年ばかりの間に、デトロイト近郊にあったBBSは半分ぐらいに減ってしまったように思う。

(つづく)

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(注1)インターネットでjpg と並んで画像ファイルの標準形式となっているgif は、もともとCompuServe で異なるプラットフォームを使うパソコンユーザー達が画像を交換する上で利用していたファイル形式だったのだと思う。それが今やインターネットの標準になっているのだから、CompuServe が広義でのパソコン通信に与えた影響は実に大きいと思う。

(注2)それでも今から思うとかなり高い。後にProdigy などが月額$10のような低価格路線で対抗し、一気に普及したのも納得できる。

(注3)時代を先取りしていたというか、GEnie のチャットで知り合って結婚し、結婚式の2次会(?)をチャットで開いていたカップルもいた。

(注4)Mocking Board については「その3: マルチメディアへの挑戦、そして挫折」を参照。この相手はアメリカのはるか南方のテキサスに住んでいたように記憶している。僕が住んでいたのはカナダと接するミシガン州。パソコン通信でそれだけの距離を乗り越えたのが感慨深い。

(注5)こういうBBSはユーザーとしてハンドルとパスワードをもらう時点で「警察関係者ではありませんか?」という質問を出してくることが多かったが、まあ、それぐらいで警察から逃れられるわけないじゃん、という感じではある。