その8: オンラインウェアの時代がやってきた!

みんなバラバラのパソコンを使っていた

 僕のApple IIc 時代とApple IIgs 時代には、決定的な違いが1つあった。Apple IIc を使っていた当時は、Apple II シリーズのパソコンが世間での主流派であった。一方、僕がApple IIgs を購入した後にApple II シリーズは完全に落ち目になってしまった。「買い換えの際になぜApple IIgs を選んだか」については、この連載(?)の「その6」を読んでもらえればわかる。ありとあらゆる会社のパソコンが乱立していて、ちょうど、先行きの読みにくい時期だったのだ。

 利用者が少ないパソコンを持っているというのは、悲しいものがある。(1) まだまだパソコンのことで一緒に盛り上がれる友達は少なかったし、かつ同じパソコンを持っている友達となると、もう、まったくといっていいほどに誰もいなかったのである。もっとも、1980年代の終わりから1990年代の初頭は、アメリカのパソコンユーザーの多くの人が僕と同じ気持ちを持っていたに違いない。

 つまり、アップル、コモドール、アタリ、IBM とその互換機、テキサス・インストルメンツ、などなど、いろんな会社のパソコンがあって、今のようにウィンドウズやMacOS というオペレーティングシステムのもとにまとまっているような感じではなかった。しかも、アップルといってもApple IIc までのApple II シリーズとApple IIgs はまったく違うパソコンであったし、さらにMacintosh もあった。コモドールのパソコンも同様に、Commodore-64 とCommodore-128 は基本的に同じパソコンだが、Amiga は別次元のものだった。アタリも同じで、いくつかの種類があってわかりにくかった。そんなわけで、みんなバラバラのパソコンを使っていた。

ソフトが手に入らない

 当時のソフトウェアのお店は、随分と困ったに違いない。同じビジネスソフトやゲームでも、各機種用に売場を分けなくてはいけないから、お客さんにしてみると、どうしても品揃えが貧弱なのだ。90年代に突入してアップル社がじり貧になると、その傾向はますます強くなった。IBM 互換機がちまたに大量に流れ出すのと同時に、MS-DOS なるものが幅を利かせるようになった。

 それほどApple ユーザーを泣かせたことはない。なにしろ、雑誌で面白いソフトを発見しても、お店で売っていないのだから。仮にあったとしても、薄利多売が出来る状況ではないから、異様に値段が高かったりもした。当時高校生の僕にしてみると、悔しい限りだ。(2)

 しかし、神はアップルユーザーを見捨てなかった。パソコン通信が普及するに連れて、オンラインウェアなるものが増え始めた。僕の体験では、1991年の中頃から急速にネット社会に浸透したような記憶がある。最初はブロック崩しのようなゲームしかなかったのが、徐々に本格的な音楽ソフトや画像処理ソフトが出始めたのが嬉しかった。

趣味でそこまで作れるのか?

 一番思い出深いのは、シンセサイザーをそのままソフトウエアにしたような「Synth Lab」だ。自分で音を作ることもできたし、MIDI を利用してデジタルデータを保存することもできた。(3) 僕は当時、おもちゃのようなキーボードしか持っていなかったので、キーボード本体から出せる音色は限られていた。しかしこのソフトと組み合わせることで、まさに変幻自在のシンセサイザーに生まれ変わった。音を事前にSynth Lab で作っておいて、後はキーボードの方で演奏をすれば、Apple IIgs に組み込んだSonic Blaster というサウンドボードから狙い通りの音を出せるというわけだ。(4) 音楽系の秀作では他に、SoundSmith というものもあったが、こちらはプログラマーがスペイン人だったようで、マニュアルが読めなくてあまり使いこなせなかった。

 ゲームで一番使い込んだのはコラムスだった。石がどんどん落ちてくる、あれです。疲れた日は放心状態で、ほとんど何も考えずにコラムスをするといい。ぼんやりとラジオのトークショーを聞きながら、延々と遊び続けることもあった。それぐらい頻繁にやっていたのだが、これがまた、音楽が充実していて素晴らしかった。無料のゲームだったが、趣味でそこまでやるかね? と思うほど、商用ソフトに近いものがあった。

 他機種で作成された画像をApple の規格に変換してくれる画像ソフトでは、SHRConvert というソフトがあった。この頃はまだJPEG が普及していなくて、ようやくGIF 形式が普及し始めた頃。画像に強いAmiga などで作成された画像は、こうしたソフトを使わなくては見ることができなかった。これで写真にかなり近い画像を見て、「おお!」と感激する時代でもあった。お絵かきソフトではCheapPaint というものもあった。今時のペイントソフトの走りのようなものだが、当時はそんなソフトが無料で配布されていること自体が驚きだった。

しかし、いずれ限界に

 慣れとういのは恐ろしいもので、一度無料ソフトの味をしめると、なんでも無料ソフトで可能になるのではないかと考え始める。そして通信サービスのGEnie や草の根BBS を探し回ったりもしたが、やはりフリーウエアにはそれなりの限界があることを思い知らされる。(5)

 ならば商用ソフトを買えよ、ということになるが、すると一番最初の問題に戻ってくる。僕がアメリカでの生活を終えた1992年の夏頃には、もはやApple IIgs のソフトを取り扱っているお店自体がほとんどなくなっていた。それぐらいApple II シリーズはじり貧で、アップル社としても次々とMacintosh の新機種を売り出していた時期だ。

 Apple IIgs はそれなりに活躍してくれたが、今から振り返ると、優良なソフトウエアが少なかったという点で、とても残念に思う。もっとも、コモドールもアタリも同じように淘汰の嵐にさらされていたから仕方がないといえば仕方がない。というわけで、次回は最後に周辺機器の話をして、Apple IIgs 時代を締めくくるつもりです。

(つづく)

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(1)今もMacintosh を使っているから、状況はあまり改善されていないという説もある。ただ、パソコン利用者そのものが少なかった時代で、機種も今より多様化していたから、その度合いは比べものにならないぐらい悲惨だった。

(2)当時Amiga を使っていた友達も同じことで苦労していた。彼の場合は通信販売の格安ソフト販売会社をみつけて、そこから購入することが多かったという。

(3)MIDI についての詳しい説明は、「その7: MIDI との出会い、その後のロック人生」を参照。

(4)といっても、僕はピアノやキーボードを弾けるわけではないので、特殊効果音のような音を作って、片手でメロディーを引いて曲に織り込むぐらいのものだった。ただ、それができるのとできないのでは、作詞作曲やレコーディングの楽しみが随分違ったと思う。

(5)GEnie は一昔前の日本でいうところの、NiftyServe のようなもの。インターネットが普及する前のアメリカでは大手パソコン通信サービスの1つだった。より詳しくは「その4: 通信は、CompuServe かGEnie か」を参照。