その9: 変わりゆく周辺機器

通信速度が一気に2倍に!

 ここでちょっとおさらいをしておくと、僕がApple IIgs を使っていたのは1989年の春から1992年の夏まで。3年ちょっとの間だった。その間にも技術が恐るべきスピードで進歩し(今はもっともっと恐るべきスピードだけど)、周辺機器もそれに合わせて変わらなくてはならなかった。

 その一つがモデムだ。僕がパソコン通信を始めたのは1988年で、モデムと言えば1200bps が相場だった。しかしこれが90年代に突入すると、2400bps が当たり前になってくる。パソコン通信も当時は文字ベースのサービスばかりだったから「1200bps で十分」という考え方もあったが、やはり異なるパソコン機種の間で画像をやり取りできるGIF の画像フォーマットが普及するようになったことなどから、ファイルのやり取りも盛んになっていったのが理由だと思う(1)

 このころはハードの値下がりも著しく、1988年に購入したモデムは1200bps でも300ドルは超えていたのに、1991年頃に買い換えたモデムはなんと2400bps で90ドル程度だった。それでも当時はパソコンのソフトそのものが軽いから(いわゆるGUIなどはないから)、文字だらけの掲示板を読むには早すぎるぐらいだったわけです(2)

リボンが手に入らなくなってしまったプリンター

 んでもってプリンター。こちらはApple IIc を購入したのに合わせて1980年代の半ばにApple Scribe というプリンターを購入したわけだが、これが熱転写型のリボンを使うので、すぐにリボンがなくなってランニングコストも高くついた。しかし、印刷速度はかなりおそいものの、カラーリボンを挿入すれば楽にカラー印刷ができたことと、静かであるという利点があった。そんなわけで、このプリンターも1991年頃までは使い続けたのだった。

 しかしこのプリンターはアップル社が生産したプリンターの中でもかなりマイナーな機種で、今もMacOS にドライバーソフトが入っているImageWriter などと比べると、同じメーカーなのに駆け出しからじり貧だった。Apple II シリーズそのものが売れなくなるとますますパソコンショップでお目にかかる機会は少なくなり、当然、消耗品としてのリボンもなかなか手に入らなくなった。

 さらに恨めしいことに、アップル社は我がScribe をさしおいて、ImageWriter の後継機種、その名も「ImageWriter II」を発売した。こうなるともう目も当てられない。ある日Scribe 用のリボンをしこたま買い込んで貯めておいたものの、将来性がないということで人に譲ることになった。代わりにやってきたのがImageWriter II だったから、アップル社は純粋なアップルファンを相手に、プリンターだけで2度も美味しい思いをしたわけだ。今思うとむかつく。

 ちなみにImageWriter II は今ではほとんど見なくなったドットマトリクス型のプリンターで、速度優先で印刷すると冗談抜きで文字がドットの集まりであるのが明らかに分かるものだった。いわゆるバブルジェットが普及するちょっと前ぐらいの話で、印刷のクオリティーが高い熱転写型がドットマトリクスに負けていたというのも、不思議と言えば不思議だ。日本語のように繊細な印刷が求められる言語では、ドットマトリクスよりも熱転写の方が有利だったかも知れない(3)

逆に、長続きする周辺機器もあった

 長続きする、というのは「Apple IIgs 以後の時代にも使えるものがいくつかあった」ということだ。なぜなら、Apple IIgs は後のMacintosh でも採用されるいくつかのインターフェースを既に備えていた。例えば、モデムやプリンターのインターフェースはMacintosh と同じ9-pin のシリアルケーブルが使えたように記憶している。そう言う意味ではApple II シリーズでありながら、Macintosh の要素も十分に持ち合わせていたといえる。

 例えば、Apple MIDI Interface という機械があった。これは僕がApple IIgs とMIDI に対応した楽器のキーボードに接続するのに使っていたもので、これは後に、Macintosh を購入してからも利用するチャンスがあった。あと、Apple IIgs のキーボードはインターフェースがいわゆるADB の形状で、後に僕がMacintosh LC630 の本体だけを購入した際に利用したことで、キーボードにお金を使わずに済んだ(4)

 そうして僕は、1992年の夏に米国から日本へと一人で帰国し、しばらくの空白期間をおいてから、Macintosh の時代へと突入するのでありました。いま思うとそれももう10年前の話なのですが……。

(つづく)

[目次に戻る][次へ]


(1)あと、海賊版の違法コピーソフトはフロッピー1枚分をそのままダウンロードする仕組みだったから、パソコンのフロッピーの主流が5インチの154Kから3.5インチの800Kへと進化したことも影響していたのかも知れない。ハードの進化と並行してソフトが重くなってしまうという鼬ごっこの世界は、すでにこのころから始まっていたジレンマのように思う。

(2)厳密に言うと、Apple IIgs はGS/OS というGUI (グラフィカル・ユーザー・インターフェース、今のマックOSやウィンドウズのようなもの)で稼働していたが、このGS/OS 向けのすぐれた通信ソフトは存在しなかった。結局、パソコン通信そのものが基本的には文字の世界だったことから、僕はApple IIc などを対象とした尾文字ベースの通信ソフト「ProTerm」を利用していた。つまり、パソコン通信に関して言えば、僕はApple IIgs をApple IIc として使っていたことになる。

(3)もっとも、僕の両親は1995年か1996年頃に購入したPower Macintosh 6100 に漢字トークを搭載して、このImageWriter II で日本語を印刷していた。文字が異様に大きくて、それでもなお荒く印刷されたのはいうまでもない。しかし、やればできるもんだと感心してしまった。

(4)このキーボードを長く使い続けたおかげで、僕は1998年頃まで「@」マークが「2」の上にないキーボードに慣れることが出来なかった。日本語がないキーボードなので、「¥」などを出すのにとても苦労する。しかしなぜかこのキーボード、雑誌の通販広告でかなり高い値段で販売されていた。マニアに受けているらしい……。